2016年7月14日木曜日

東京FM様より取材を受け放送されたものが,東京FMのHPにアップされました。

東京FM HPより
7月11日 岩手県陸前高田市「サイコウ勉強会」(1)
http://www.tfm.co.jp/lh/index.php?itemid=111726
7月12日 岩手県陸前高田市「サイコウ勉強会」(2)
http://www.tfm.co.jp/lh/index.php?itemid=111788
7月11日 岩手県陸前高田市「サイコウ勉強会」(1)
今朝は、岩手県陸前高田市に立ち上がった「サイコウ勉強会」についてお伝えします。

東日本大震災から5年4カ月が経った今も、陸前高田市の沿岸部では最大で12メートルかさ上げ工事が続いています。山を切り崩した高台に住宅地を造成、低地は盛り土をして、宅地を含む中心市街地を整備するという市の復興計画は2018年度末の完了を予定。その上で【換地(かんち)=土地交換でかさ上げされたその土地に戻ってもらい、家を建て、生活を再スタートしてもらう】という方針です。

高田地区の川原集落もその一つ。川原の出身で「サイコウ勉強会」を立ち上げたお一人、菊池純一さんにお話を伺いました。

◆家が建ちました、じゃ復興じゃない
これから高田の町をどうするか計画が出た時に、その計画事業の説明会があったんですね、で自分たちの土地がどうなるのか説明されたんですが、聞いてわかりましたか?わからないと。俺もわからないから町内の人もみんなわからないだろうなってことで、勉強会が始まりました。今いろんな町に仮設住宅ができてみんなバラバラにされたんですね、15ヵ所も。1軒というところもあって。つまり、これから高台へ換地されるわけですけど、その換地された先のこれから一緒に住む人達の顔がどんな人なんだろうかとか、どういう町にしたいのか、公園はどうするとか、コミニティについて話したいなと思ってて。今じゃないとできてしまってからは言えないので。 一番大きいのは高台ごとに行政区ができると言われてて、行政区の名前はどうなるんですか?というのは興味があるとみんな言ってます。昔の町内会の名前、例えば「河原」っていう名前がイイよね、っていう人もいるんです。それ自分たちで考えられるよねと思ってる。夢のある話をしているんです。そうやって作っていけばコミニティが早く出来上がっていい町になるんだろうね。それが復興だと思ってるので。家が建ちましたじゃ復興じゃないので。そこに住んでいる人達が毎日笑顔あふれる、幸せを感じられるような町になれば、それが復興だなって思ってるので。それが目標ですね。
ちゃんと住民が話し合って行政に言えばちゃんと受け取ってくれると思いますよ。個人の一人の意見じゃなくてみんなで決めたんだからってことで。それがみんな出来ないと思ってるから。もうすでに出来上がってる高台の行政区の人達にも声をかけて一緒に勉強しませんか、って声をかけてるんですけどなかなか来ないです。全然動き出そうしてなくて。だから家を建ててそれで精一杯なんだろうなって。だからもっといろんな人に話をしたいんですけど。一番聞きたいのは若い人達の意見なんですよ、20代30代の。これからの人達が新しい町に想いを入れてくれれば絶対にいい町になって繋がっていくと思うんですよ。うちら前の町は先人たち作った歴史ある町を維持していくって感じでしたけど、これから新しい町を作るのに新しい人たちの声を入れないとね。これから歴史を作っていく人達。うちらはその場所を提供したいだけなんです。意見どうのこうの言うんじゃなくてね。

地域住民がバラバラに暮らさないといけない現状の中で、少しでも意見を聞いて、もともと町にあった結びつきを取り戻したい、より良い町にしたいというお気持ちで菊池さんは活動を続けています。また、菊池さんは親子で町の消防団員を務めていましたが、津波で長男を亡くされています。いま菊池さんの背中を押すものとは。あすも菊池さんのお話しをお届けします。
7月12日 岩手県陸前高田市「サイコウ勉強会」(2)
今朝も昨日に引き続き、岩手県陸前高田市の高田地区に立ち上がった「サイコウ勉強会」を主宰するお一人、菊池純一さんのお話しです。

陸前高田市の中心地、高田地区にあった川原集落。いまは15の地域に分かれてそれぞれ仮設住宅などで生活をしていますが、市街地をかさ上げして住民を元の場所に戻そうという市の復興計画に対し、住民みんなで意見を出し合い“震災前よりいい町にしよう” と話し合っているのが「サイコウ勉強会」です。

菊池さんの家は代々続く畳屋さん。震災前は菊地さん夫婦と、父母、3人の子供の、家族7人で暮らしていました。菊池さんと息子さんは、町の消防団員も務めていました。

◆消防団員で避難誘導していて
高田の町は海が近くて自然も豊かで人と人のつながりがすごい強い町でした。で、あの忌まわしい津波によって、町内会の半分の方が亡くなってしまったんですね。自分と息子は現役の消防団だったので、すぐ半纏を持って、自分は町内会に「逃げろ!逃げろ!」って言って回ったんですね。で息子は陸前高田市の体育館の近くで避難誘導してて、で体育館に逃げて、帰ってきませんでした。遺体が見つかったのはそれから一カ月半ですね。ぜったい帰ってくると思って探してたんですけど、どっかにいるんだろうと。もう、夢を見てるみたいな。立ち直れなかったですね。なんでこんな試練を受けなきゃいけないんだろうって。うちもそうですけど、陸前高田市では、消防団は52名亡くなってます。消防署員は1名。52名中の後輩なんですけど、1名まだ見つかってないです。行方不明のままですね。海に行っちゃったんでしょうね。まあ息子だけじゃなくて、仮設で亡くなってる人いっぱいいるんですよ。はやく新しい家つくって、そこで住まわせたかったなって、うちの親父もおふくろも仮設で亡くなったので。それだけが悔いが残ってて。だから今亡くなってる人たち、震災関連死だなって思ってますよみんな。無かったらもっともっと長生きしたと思うんですよね。震災でも亡くなってるし、そのあともっと亡くなってますから。そういうのはなかなか表に出てこないから。うち7人いたのにもう3人亡くなったんですよ。娘二人と4人で。うちだけじゃなくて悲しい思いをしていますよ。みんなね。

津波で息子さんを、そして長引く仮設住宅での生活の中で、お父さんとお母さんを亡くしながらも、勉強会を立ち上げ、町の復興に尽力する菊池さん。それは命を落とした家族に、背中を押されているから、なんでしょうか?

◆息子の分までやりたい
背中を押されてるんですかね(笑)。いや供養っていうのは、自分たちいま生きてる人たちが元気にやってる姿を見せることだと思ってるので。何やるにも息子の分までやりたいなと思ってるので。それがやっぱり、押されてるんですね。一生懸命やることが供養だと思ってるので。交流人口増やそうとか言ってますけど、やっぱり地元の人たちがいろんな思いを入れて作んないと、思いが入らないと、元気にならないと来ないですよ高田に。だから、こんなに楽しくやってるよ!ああ元気だな!高田に行ってみっかな!みたいな町になればいいかなと思いますね。
いちばん好きなところ・・・やっぱり潮の香り。海のそばっていうのが好きなのかな。うちらの前のサッカー場、海のそばだったんですよ。松原の中にあったんですよ。なのでそこでずっとサッカーやってたので。終わるとすぐに泳ぎに行ったりとか。やっぱり海無いのは考えられないですね。津波に遭うともう負けられっかってなるじゃないですか。もう逃げたいとかいう思いは無くて反対に、絶対まともな町にしてやるっていうのはありますね。

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